
2026/07/29 20:59
初のアトランタ横断電信ケーブル:壮大な美しさを備えた失敗
RSS: https://news.ycombinator.com/rss
要約▶
Japanese Translation:
1858 年 8 月 16 日、ヴィクトリア女王と米国のジェームズ・ブキャナン大統領は、史上初の大西洋横断電信ケーブルを通じて電報による挨拶を交換し、グローバル通信における歴史的なマイルストーンを達成した。このリンクは、陸上の電信技術を応用して海底ケーブル敷設の課題に挑戦するため、イギリス政府と米国政府の両方から巨額の助成を受け、アイアランドからニュージャージー州ニューファンドランド島までの 3,200 キロメートルの経路を、7 本の 0.083 インチの銅線束(3 層でゴタパーチャ、焦げ縄状の麻ひも、鉄線に巻き包まれたもの)で構成され、1 マーライル当たり約 107 パウンドの重量を持つケーブルを接続した。34 歳までに製紙業界で財を成していた起業家サイラス・W・フィールドが、1856 年に大西洋電信会社(ATC)を設立し、この事業を主導した。
細い銅線支持派(サムエル・モースとマイケル・ファラデー)と、電流抵抗を減らすため大径の純銅芯を採用する支持派(ウィリアム・トムソン/ロルド・ケルビンとエンジニアであるチャールズ・チルストン・ブライト)の間で設計上の対立が生じ、ゴタパーチャ社がこれらの仕様に基づいてケーブルコアを製造した。
最初の試みは 1857 年 8 月 5 日に出航し、改装された海軍艦 HMS アガメムノーンと USSF ニアガラを使用したが、機械系の故障と 8 月 11 日の波の影響で 5 マイル未満の地点で中断され、進捗は主技術官ウィリアム・エヴァレットによる再設計まで停滞した。2 回目の試みは 1858 年 6 月に実施され、ケーブルの一部が敷設されたが、途中(北緯 52°2'、西経 33°18')での接続作業および真夜中のコイル交換中に天候悪化により失敗し、両方の試みで約 100 キロメートルが放棄された。3 回目の試みは 1858 年 7 月 17 日に開始され、問題なく全長 3,200 キロメートルのケーブルが敷設され成功した。USSF ニアガラは 8 月 4 日にニュージャージー州に到着し、HMS アガメムノーンは 8 月 5 日にアイアランドに到着した。
女王からの 98 語のメッセージは約 16 時間をかけて送信され、パケット蒸気船(約 10 日が必要)と比較して drastically な配信時間の短縮を実現した。総じて 732 のメッセージが送信された後、数週間で绝缘体の製造欠陥と信号劣化によりリンクが劣化し、秋初めには機能停止に至った。重要なメッセージには、カナダでの部隊配置を維持する英政府の命令があり、約 50,000〜60,000 ポンドの節約と推定された。ラインが故障した後、ジュエリーメーカーの Tiffany & Co. はニアガラから余剰ケーブルを購入し、時計ブローチやイヤリングなどの記念品を 50 セントで販売した。
歴史家のドンアード・デ・コガンは、後日ゴタパーチャ絶縁体の製造不良と劣化が失敗の一因となり、ホワイトハウス氏への非公正な責任追及だった可能性を示唆しているとした。公衆の懐疑心や偽装理論が存在する中、英国政府の継続的な資金支援により、1866 年に恒久的な大西洋横断ケーブルが構築され、長期的なグローバル接続性が確立された。
本文
第一条横断大西洋ケーブルの開通式とその後:「ビクトリア朝版アポロ計画」
盛大な開通式と記念品
2019 年の紙媒体記事にて取り上げられた、第一条横断大西洋ケーブルの歴史について解説します。
- 祝賀行事: 開通式は懐中時計ストラップ、イヤリング、ペンダント、チャーム、手紙切り機、燭台、杖頭飾り、卓上ディスプレイなど、多岐にわたる記念品を頒布して盛大に行われました。
- 公式メッセージ: イギリス女王ヴィクトリアと米国ジェームズ・ブキャナン大統領は、電信による交歓(8 語〜98 語)で互いに祝意を表しました。
- 女王の「友好への 98 語」が届くのに約16 時間を要しましたが、パケット蒸気船(所要約 10 日)に比べれば画期的な通信速度でした。
- 歴史的文脈: サミュエル・モールズが 1840 年に提案したこのプロジェクトは、長年の願いを実現する里程碑的な出来事となりました。
プロジェクトの経緯と技術的論争
実業家サイラス・W・フィールズによる大規模な投資と、海底ケーブル設計をめぐる議論が進みました。
- 資金調達: フィールズ(34 歳で製紙業界の巨富)がニューファンドランド〜ニューヨーク間の結線に最初に出資。その後も情熱を持ち続け、大西洋電信社(ATC)を設立しました。
- 政府の支援: イギリス政府と米国政府双方から補助金が支払われました。
- 設計論争: コアの太さと信号伝送に関する二つの学派が存在しました。
- モールズ=ファラデー学派: 導線を可能なら限りなく細くすべきだ(充電電力の最小化)。エドワード・オレンジ・ワイルドマン・ホワイトハウスも支持。
- ウィリアム・トムソン(子爵ケルビン)派: 信号遅延は長さの二乗に反比例するため、純度が高い大径の銅コアを使用すべきだと主張。プロジェクトチーフエンジニアのチャールズ・ティルストン・ブライトも支持。
- 結果: アトランティック電信社(ATC)は重い高価なトムソン設計を採用せず、軽いモールズ設計を採用しました。
カプセルケーブルの構造
- コア: 直径 0.083 インチのワイヤーを 7 本ねじり合わせ。海里あたり 107 ポンド(対照案の 392 ポンドより軽量)。
- 絶縁処理: 銅製コアにゴータパーチャ(ラテックス)を 3 レイヤー巻いた後、ターペンタイン処理した麻縄で覆い、さらに鉄線で保護。最終直径約 5/8 インチ。
敷設船の選定
- 貨物量の多さから、2 隻の海軍船舶に分割しました。
- HMS アガメムノーン(イギリス)
- USFS ニアガラ(アメリカ)
- 両船とも負荷運搬用に改造され、積込みには 3 週間を要しました。
敷設の困難と試行錯誤
敷設作業は順調に進みませんでしたが、数回の挫折を経て成功しました。
最初の失敗と修正(1857 年)
- 計画の対立:
- ブレット案:洋上で接続し、各船が反対方向へ展開(所要時間半減、悪天候リスク低減)。
- ホワイトハウス案:アイルランドから敷設開始後、完了を待ってから接続(常時連絡維持可能)。
- 当初の判断: 取締役会はホワイトハウス案を選択。クイーンズタウンで一時的なスプライスを成功させた後、任務へ進みました。
アガメムノーン号・ニアガラ号での苦難
- 岸上ケーブル断裂(1857 年 8 月): 着海底 5 マイル地点で岸上ケーブルが巻き込まれ断裂。船団は港に戻り、ロープを用いて再接続。
- 二度目の失敗(1858 年 6 月〜):
- 北緯 52°2′、西経 33°18′で洋上接続を試みますが、天候が悪化し船が激しく揺さ振られました。
- 接続後わずか数日で通信障害が発生。「アガメムノーン」と「ニアガラ」は再会地点に戻り、100 キロメートルのケーブルを放棄しました。
- その後、夜間にメインコイルへ切り替え中にケーブルが断裂。嵐による甲板上のケーブル損傷と、数百キロ離れていたことが判明。
3 度目の成功(1858 年 7 月〜8 月)
- 出航: フィールズの説得により、再び挑戦を決意。良好な天候の下で敷設に成功。
- 接続: 両船が北緯 52°2′、西経 33°18′で会合し、水深 1,500 フィート(約 2,745 メートル)にて海中降ろし、洋上でケーブルを接続。
- 完了: 「ニアガラ」(8 月 4 日)、「アガメムノーン」(8 月 5 日)がそれぞれの目的地に到着。
- 総延長: 3,200 キロメートル(ニューファンドランド州サンナイズサイド〜アイルランドバレティア島)。
開通式後の通信と早期の故障
- 公式開通: 8 月 16 日、女王とブキャナン大統領による電信交歓で祝賀式が行われました。
- 歴史的評価: 「ビクトリア朝版アポロ計画」と称される英雄的な努力が認められ、ニューヨーク市ではパレードと花火で祝賀されました(シティホール火災も発生)。
- 故障の原因: 通信は弱く、数週間以内に完全不通となりました。
- ホワイトハウス容疑: 東端チーフエンジニアで高電圧(2,000 ボルト)を使用したが、劣化の原因に非難されました。
- 技術的真相: ドナード・デコガンによる分析では、製造不良(銅コアの位置ずれ)、ゴータパーチャ絶縁体の劣化、不純物混入、冬期の不適切な保管が複合的に影響したと判明しました。
記念品の商業価値とその後
- 余剰ケーブルの販促: ティファニー&カンパニーが「ニアガラ」から運んできた余剰ケーブルを買い取り、切断・加工して記念品を開発しました。
- 価格: 小売 50 セント(約 15 ドル)、卸は 25 ドル/100 ピース。
- 種類: ストラップ、イヤリング、ペンダント、燭台など。フィールズの署名付き証明書付き。
- 運命: ケーブル通信が早期に止まったため、記念品も販売不能に。一部は博物館へ収蔵され、多くは倉庫で忘れ去られました。
- 現在の流通: 1974 年、「ランエロ・リザーブズ」社が旧在庫を再販売し、現在はオークションサイトで入手可能です。
歴史的意義と結論
- 実用性: 故障するまで732 通のメッセージを送信成功。
- カンナードライン船同士の衝突報告。
- イギリス政府からカナダ駐在軍への「インド蜂起鎮圧完了」の知らせ(約 5 万〜6 万ポンドの軍事輸送費を節約)。
- 精神的遺産: フィールズは多くの損失を受けましたが、「瞬時の通信」という未来を信じる希望を失わず、最終的に1866 年に恒久的なケーブル建設に成功させる原動力となりました。
- 技術の進歩: このプロジェクト自体の失敗が、投資家たちの慎重さを促し、結果としてより確実な次の世代への道筋を作ったとも解釈できます。
※本文脚注:2019 年 11 月号紙媒体掲載記事の短縮版。2021 年 2 月 1 日訂正。執筆者:アリソン・マーシュ氏(サウスカロライナ大学歴史学准教授)。